幕府は江戸、大阪、京都に町奉行・所司代を置き重要視したが、その他伊豆・日田・長崎・新潟・飛騨や重要鉱山に代官を配置し支配した。これらの支配力は単に一都市に限らず、京都所司代は山城・丹波・近江など、大阪町奉行は西日本諸国の天領の采配がそれぞれ許されるなど、管轄地の諸大名を監察する役目もあった(京都所司代は朝廷も監視していた)。但し、彼らの用いる兵力は殆どなく、18世紀初頭の長崎奉行は10数人、幕末の五条代官所でも30人しかいなかった。
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幕府は権力と経済を分散させている。老中などの権力を持つ譜代大名は殆ど10万石規模の石高だが、経済の豊富な外様や国持大名には幕府政治に介在を許さなかった。これにより室町幕府の細川氏のような権力者を生み出さないようにしている。17世紀後半以降にはその老中職なども大老職など例外を除いてほぼ複数制(月番制)となっている。
江戸幕府より統治の許可を得た諸大名が原則的には一代に限り土地統治を認められた封建体制である。領土の支配体制は各大名の規模によってかなり異なるが、ほぼ幕府の支配機構体制に準ずる形をとった。身分制についても同じである。ただ、大名は支配土地を自由自在に支配できたわけではなく、幕府からは大目付が発する監察使にその行政を監視規制されていた。このため武家諸法度違反で相当数の大名が改易・減封処分を受けたが、この処罰は親藩・譜代・外様の別なく行われた。
の升屋の番頭である山片蟠桃に藩財政を総覧させたように財政を商人に任せるような藩も出てきた。